2003-02-03 [長年日記]

安能務訳「封神演義」一、二、三巻読了。中学校の時に、中国の国の名前(という表現は変だけど)を暗記させられたけども、どうやら僕は真面目に覚えていなかったらしく、僕の記憶の中では殷(商)、周の次には秦、漢、三国が並んでいる。本当は、その間に春秋、戦国という時代がある。呉越同舟の語源である呉と越は春秋時代の国の名前であるし、釣り好きの代名詞である太公望、姜子牙は武王のもとで周の建国をたすけた後に斉に封じられ、春秋の時代にはその子孫がその時代の最初の覇者となっている。

某ジャンプの漫画のおかげでかなり有名になったので蛇足になるかもしれないが、封神演義のあらすじを簡単に説明すると商から周への易姓革命の話ということになる。ちなみに蛇足というのもこの時代の故事に由来する(というのを安易に信じてはいけない)。話自体はほとんどがフィクションであるが、紂王や妲己、姜子牙などは実在の人物である。それはさておき、所謂演義本からかいまみえる古代中国の人たちにはいくつかの特徴がある。まず、特定の言い回しが非常に好きだということ。

例えば「良禽は木を選んで住む」というのは後代の三国時代に共通して多く出てくる。次に形式主義的であること。合戦の始めには必ず、名乗りがあって一騎打ちがあるし、「免戦符」を掲げていれば攻めることはできない。日本での戦国時代における名乗りなどは輸入品なのだなあとかってに納得。この他によく泣くというのもある。

親類を殺された時はまあそうだとしても、数ヶ月離れ離れになって再会しても涙を流したりする。もちろん心情的なものなのだろうけど、これも一つのパフォーマンスなのではないのだろうかと思う。演義の中では冷酷非情な人として描かれている曹操も、かつて典韋が仁王立ちで死んだ宛城の近くに差し掛かったときには大泣きに泣いて見せることにより、人心を掴んでいる(ここでは、曹操の縁続きが死んでいるにもかかわらず部下を優先したことも理由としてあるのだけど)。

最後に、というかつまりこれが書きたかったのだけど、人肉を結構平気で食べるということ。これは、最初に挙げた封神演義の冒頭でも説明されている。西伯候姫昌は息子の肉をそれと知りながら口にしているし(あれは食べたふりと解釈するべきなのだろうか)、劉備が敗走中に立ち寄った民家では、相手が劉備であることを知り食事に出す肉がなかったため、妻を殺してその腕だったか太ももだかの肉を出している。翌朝それを知った劉備はそうまでしてくれてと感動している。この感覚は現代人には理解し難いものがあるだろう。

さっき、特定の言い回しが好きだというのは書いたが、もちろんこの時代に発生した故事、成語というのもある。例えば、「老いてますます盛ん」というのは蜀の五虎将に数えられる黄忠のことであるし、「士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待つべし」とは呉の呂蒙の言葉である。まあでも、前者はまだしも後者はあまり使うことはないかもしれない。

人物評としての成語は他に白眉というのもある。この白眉とは馬家五兄弟の馬良という人のことで、兄弟の中でも一番できがよかったらしい。何故白眉かというと、眉が白かったからである。結構安易だ。ちなみに、「泣いて馬謖を斬る」の馬謖は彼の弟である。

白眉というのはもちろんいい意味で使うのだけど、逆に悪い意味で使うのは「あほ」というやつで、これは劉備の息子である劉禅の幼名が阿斗だったことからきている。初代が活躍すると二代目が出来が悪いのはもうお約束の領域であるけど、彼が駄目駄目だったのは長坂で劉備に投げられたときに頭を打ったのではないかと勝手に解釈している。それはそうと、さっきの「泣いて馬謖を斬る」で馬謖を斬ったのは言わずと知れた諸葛孔明で、彼の名前が出てくる成語に「死せる孔明活ける仲達を走らす」というのがあって僕はこれが結構好きなのだけど、なかなか使う場面はめぐってこない。

梶尾真治「黄泉がえり」、乙一「さみしさの周波数」読了。貴志裕介「青の炎」、乃南アサ「ボクの町」、百鬼夜翔シリーズ「空から奴がやってきた」購入。