2001-06-10 [長年日記]
ある本を探す為に、古本屋に行ったのだが一冊もなくてへこんでしまった。仕方がないのでPS2版のガンダムを購入。結構面白げ。「νガンダムは伊達じゃない!!(違)」
まぁそれはよしとして(いいのか?)、同梱されていた紙に、「ガンダム・ザ・バトルマスター2」(以下バトルマスター2)の海外版「ガンダム バトルアサルト」(以下バトルアサルト)の特別購入の紙が入っていた。一緒にテレカとマ・クベの壷なんかも載ってたがそんなのは無視。
バトルアサルトの動作画面を見るとGP02Aにソロモンの悪夢ことガトーが乗ってるじゃないか。バトルマスター2は全部原作とは違うオリジナル(ってもオリジナルは原作って意味もあるからようわからん表現だけど)キャラが乗ってたのだ。その画面ではガトーの他にヒイロ(W)と、ジュドー(FAZZ)を確認。ここから他のパイロットを推測。アムロ(ガンダム、νガンダム)、シャア(シャア専用ザク、ジオング、サザビー)あたりは確定だとして、あとはカミーユ(Z)、プルツー(クインマンサ)、ドズル(ビグザム)、ガトー(GP02A、ノイエジール)、ハマーン(キュベレイ)、シロッコ(ジ・O)、マシュマー(ハンマハンマ)、ってなところだろうか。問題は残りの連中である。
ザク、ボール、ハイゴッグ、アッガイ。…圧倒的じゃあないか。ザクはギャバンに決定!!ボールは08小隊のシロー。ハイゴッグはサイクロプス隊のアンディ(知らん)。アッガイは当然アカハナ、もしくはドモン。
うぉ、めちゃくちゃ面白そう(いろんな意味で)。誰かくれないかなぁ。
2001-06-19 [長年日記]
都市伝説
とある友人との話。
彼曰く、「東京ディズニーランドに恋人同士で行くと別れる。」よくあるタイプの都市伝説である。地元でも、動物園で同様のパターンの話があった。そう彼に言うと、「いやこれにはれっきとした理由がある。ディズニーランドはアトラクションのために長い時間並ぶ必要があるだろ。だから、付き合い始めの頃だと会話が続かなくてギクシャクするだろ。」なるほど確かに合理的な説明である。しかし、それ自体都市伝説であることの証左とは考えられないだろうか。
もし理由がなければ説得力に欠け、こうも広まることはないだろう(とあるところでは、「そんなことは絶対無いはずだけど、もしかしたら」というものが一番広まりやすいのではないかという考察もあったが)。
「プルタブを集めて車椅子」という有名な都市伝説がある。実際に車椅子をもらった事実はあるが、その発生自体はまさに都市伝説それである。この伝説は今でも形を変えて生きているらしく、ある番組でペットボトルのキャップを集めている少女が出てきて奥の深さを思い知らされた(アルミでできているプルタブに比べ、ペットボトルのキャップではもともとの理由である「車椅子の材料になる」というポイントをはずしているが、これこそ都市伝説の都市伝説たる所以だろう)。
話はそれたが、冒頭の話での「何処其処に行くと」というのはそりゃあ当然付き合ってればいろいろなところに行くだろうし、「別れる」という現象自体も別段珍しいことではないだろう。ただ、それを説明する為に自分自身を持ち出したくはないのが普通だ(尤も、逆に自分を理由にするという自虐的な行為を好む人がいることも否定できないが)。そこで井の頭公園での弁天様のようなもっともらしい理由が後付けで付加される訳だ。
話は変わるが、昔件の動物園の近くを通った時のこと。そのときドリカム状態の私たち(そのときの+1は私ではなかった)は、時間が余っていて何処に行くか決めかねていた。その時丁度、「動物園の隣のロケット」(地元の人にしかわかりませんな)が見え、当然のように恋人同士で動物園に行くと云々という話になった。私自身は上の文章からもわかる通り、この手の「離別伝説」については全く信じていないので動物園行きを主張したのだが却下されてしまった(友人の車だったので発言力も弱かった)。
このとき、動物園行きを主張したのには動物園なら結構時間をつぶせるだろうという打算もあったのだが、「そんなのは俺たちには関係ないだろ」という思いがあったからなのだが、言わなきゃわからんか。
2001-06-20 [長年日記]
やふーBB
「もうナローバンドに止まる理由はない。」まぁ、あれだけの構想を打ち出したのだからこうも言いたくなるのは分かる。分かるのだがこっちの話も聞いていただきたい。
確かに下り8Mbps、世帯ベースで全国70%をカバーという条件で月額2280円というのは破格だろう。しかし残りの30%に含まれる人はどうしろというのだ。それに提供地域に含まれていてもPBX(構内交換機)が入っていたり、そもそも電話回線がない某高専寮みたいなところはどうなるのだ(前者は技術的には可能らしいが、それ以前の問題(そもそも管理者が非協力的とか)の方が大きかったりする)。ということで現時点ではナローバンドに止まるしかなかったりもする。
あと、申し込みの際にYahoo! JAPAN IDを取得せよとはどういうこった。現在ネットにつなぐ環境がない人が、それを構築する為にネットにつながなければならないなんて鶏卵じゃないか。
2001-06-27 [長年日記]
アンドロメディア
粗筋を簡単に説明すると、ヒロインである舞が交通事故で死んじゃってAIである「アイ」として復元されて、というよくある話である。
このような話を作るには関係と手段を定義すれば良い。ここでいう関係とは、
- 娘(息子)
- 片思いの相手
- 理想の異性
- ロボット(アンドロイド)として
- AI(というと語弊があるかも。物理的に存在しない形で)として
といったやつだ。ここで、死んだ息子の代わりにロボットを、とすると天馬博士になるし、息子が死んでなけりゃ成原博士になるわけだ。「僕はロボットではありません。アンドロイドなのです。」と言われそうだが。ここで重要なのは、復元あるいは複製された存在は元の存在とは異なるものであり、独自の意思を持っていることである。そして彼(彼女)らは自分の存在意義を疑い、思い悩むのである(R君も悩んでいたのだ。多分)。
で、この映画ではというとそこの描画が浅いように感じる。もちろんそれを話に盛り込む義務はないが、少しでもそれをちらつかせている以上、もう少し突っ込んでやればまた別の方向性が見えたのではないかと思う。
あと、コンピュータ関連での演出はかなりアレな物が多かった。友人曰く、「少し前の日本では、SFのscienceを正確に描画することがもてはやされる風潮があった。それに対するアンチテーゼなのだ。」とのたまっていた(アンチテーゼという言葉は私が引き出したので、ちょっと意味が変わっているかもしれないが)。がしかし、やはり物事には限度があって、あまりにも杜撰な表現だととたんに「萎えて」しまってストーリーを追う元気もなくなりあら捜しをしてしまうのである。
まぁディスプレイ上のアイが、話す相手の方を向くのは演出としてしょうがないにしても(それ以前に視覚聴覚の入力はどうしてるんだろうとかあるけど)、ネットワーク上のパソコンに侵入するのに間取り図はいらんだろうとか、ホースみたいなのがうにょうにょ動くだとか、車のラジオのアンテナからブレーキの制御をするとか。
大目に見てこれらを許すにしても、アイの視点からの画(窓を通して外界が見えている)は絶対にだしてはいけないものだと思う。