2005-02-27 [長年日記]
たとえば
いまさら感溢れるのだけど、電車男について語ってみよう。僕はまとめサイトで読んだのだけど、ログの中にすごく躁鬱気味な反応を示したところがあって、その一文で「ああ騙されてもいいや」と思ったのだ。
だけど、あれに救われたって人がどこに存在するのか僕には全然わからなかった。あれは、「オタクに恋人ができた」という話ではない。「性格はいいけど恋愛には奥手な男に恋人ができた」というただそれだけの話だ。それは多分、オタクにとって救いではない。そして、あの板の住人にもたらされたであろう教訓は、身奇麗にしようということと、もっと積極的になれということだ。そんなことは、誰かに言われなくたってとっくの昔にわかっている。
それはそれとして。ここでの「騙される」というのは、実はフィクションだったとか、そういう話。実際どうなのかはわからないけど。
自ら「書かれた文章はすべて虚構である」と書いておいてなんなのだけど、テレビでも本でもフィクションとノンフィクションは明確に分類されるというのが世間の常識なわけで、その世間の常識に従うなら、フィクションをノンフィクションと銘打つ行為は騙しだといわれてもしようがないだろう。
いや、それはどうだっていいんだ。すべてが虚構である以上、そういう詮索に意味はない。ただ、こういう記事を見ると、どうも落ち着かない気分になってしかたがない。自分でもその理由がわからなかったのだけど、さっきわかった。というか、閃いた。つまりは、既に完結している物語に水を差されるのが嫌なんだ。最後の10分でハッピーエンドを迎えたのに、エンドロールの後のエピローグまでしっかり見たのに、「ほげほげpart2 近日公開!!(ズゴンズゴン←効果音)」なんてテロップが出たら、もうはっきりいって、それまでの二時間が台無しだ。
繰り返すけど、事実かどうかは関係ない。ただ僕は、まとめサイト或いは書籍のあれを物語だと思っていて*1、続編はいらないと思っている。或いは、物語は物語ではなく、現在進行形の何かとしてそこに存在しているのではないかと思えるのが嫌なのかもしれない。
つまりは、「ここはチラシの裏じゃねえんだ。 おまえの日記帳にでも書いてろ。(AA略)」ってことだ。と意味もなく結論じみたことを書いてみる。ああ、もちろんここはチラシの裏、もしくは俺の日記帳(そのままだな)なので、ヨロシク。
*1 もともとのログからすると、ダイジェスト版かもしれないけど